思念が奔逸中

情報発信の体裁で雑念のみ垂れ流します

好きなものでマウンティングする事(と選民思想的なセグメントについて)

おそらく語り尽くされ手垢に塗れたこのテーマについて今更私が何かを言う必要もないのかもしれませんが、インターネットで生じたモヤつきはインターネットで解消しようと思い立ち文字を打っています。

先日から、「人口に膾炙しない要素のあるコンテンツを楽しめるかどうかは、受け手の質を定義出来るのか」そして「定義出来るものとして、それでセグメントする事は誰かの利益になるのか」という事を考えています。

 

きっかけは、あるサイトで私の好きなバンドが紹介された事なのですが本論とはあまり関係がありません。バンドを扱った記事としても色々と感想を持ったのですが、そうではなく記事全体から来る雰囲気というか構造に何となくザラッとした気持ちになったというお話です。(広告媒体ではないメディアに好意的に取り上げられる、という事自体は嬉しかったのですが)

 

論の展開としては、取り上げるバンドを人口に膾炙しないコンテンツと位置付けた上で、リスナーの姿勢を問う、という流れだったのですが、特定のライト層へのマウンティング意識を感じました。

その数日後、同じ媒体で同じような展開の記事が公開されるに至って、こういった選民思想的な訴求ってどこにセグメントしていてちゃんと効果を上げているの?という疑問を持ちました。

個々の記事の妥当性云々や日頃のコンプライアンス的に行き過ぎた言い回しについて言いたい事もあるのですが一旦脇に置いて、当該サイトの過去の記事を遡って読んでみた所

・記事はあくまでも個人の偏った意見である事を前提に自分が良いと思ったものを推している

・有名アーティストについての記事も掲載し、ライト層の注目を集めるようにしている

というスタンスが何となく分かりました。その他にも、記事を書く時や何かを紹介する時の責任、他ジャンル同士のマウンティング、新規層の参入障壁などフックのある議論もあり興味深く読みました。言っている事は理解出来るし結構共感出来る。

当たり前なのかもしれませんが、めちゃくちゃ自覚的。

もう私のような音楽的素養も知識も無い者が言うべき事はないのかもしれません。

でもその上で、マウンティング色の強いアプローチって単純に勿体ないと思いました。

 

話が飛躍しますが、私は個人の好みとしてラーメンが特別好きではありません。豚骨ラーメンは食べられません。

頑固親父のいるこだわりの店よりそこそこの小綺麗な店に行きたい。

仮にそういう小綺麗な店に行く計画を立てている時に「そんな店は邪道だ」「豚骨ラーメンが食べられないなんて人生損している」などと口を出されたらめっちゃ嫌です。寧ろ絶対行かない。

そういうマウンティングで玄人向けコンテンツだと標榜する事は、ライト層を遠ざけ余計な時間を費やさせないという点では、もしかしたら優しいのかもしれません。

 

まあ、今はラーメンを試食するよりはるかに簡単に音楽が視聴出来る時代です。別に誰がなんと言おうと聴いてみて合う合わないを判断すれば良いし、私が知らないだけで意外と「我こそは玄人向けコンテンツの良さが分かるぞ!」という漢気溢れるリスナーにセグメント出来ているのかもしれません。そもそもレビューの文体の印象で左右される層はハナから相手にされていないかもしれない。

 

でもやっぱり勿体ないと思うんですよね。私自身、サブカル典型のイノベイターみたいなバンドマンがSNSで言及した事によって、典型とは対極にあるような別バンドの存在を知って嵌ったし、件の記事のバンドも更にそこから情報を広げていった先で知る事ができました。別にコンテンツがトレンドに即していようがそうでなかろうが良いと思ったら両方嵌まれる。

一度人口に膾炙しない界隈に突っ込んでみたら色々楽しいのに、なんか感じ悪いバチボコ選民思想なレビューで追い払ったら機会損失です。

 

今回はたまたま音楽でしたが、他の文化的なコンテンツにも当てはまると思います。ゴッホ展が来たら観に行くし、でも床に枕が沢山ズラッと並んでるみたいな展示も観に行きたい。

敷居を高くしたブランディングで消費者のステイタス感を煽る戦略はものによっては合致しますが、文化的コンテンツにおいてプラスに作用するのは稀なケースな気がします。いずれにしても外側からレッテルを貼るものではないと思うのですが。

 

色々宣いましたが結局のところ私は、好きなバンドとそのファンがよく分からないマウンティングに巻き込まれている構造が愉快じゃない、という事と「そんな事ないもん、推しは人口に膾炙出来るしマジで」という事が言いたかっただけなのかもしれません。

 

歯に衣着せない発言をすればバズるし媒体力が増すのは分かるんだけど、昨今の情勢でミソジニーなセンスを絡めるのって悪手でしか無いような気がする。趣味的な評価軸は自分と合っている媒体なのに残念。

 

とは言え私自身も結構マウンティング体質です。空いている美術館が大好きです。何かを選択する事は選択しなかったものと表裏一体で、無意識に何かを無碍にしていると思います。他人が好きなものは否定しないようにしようと思っているのですが、きっと数週間後には「米津玄師はLemonもいいけど結局爱丽丝 だ」とか言っていると思います。

爱丽丝 は格好良いからお勧めするのは止めようがないので、せめて混んでいる美術館に文句を言ったり、書店で話題作と通っぽく見える本を一緒に購入するのを止めたいです。