思念が奔逸中

情報発信の体裁で雑念のみ垂れ流します

ブログを始めたきっかけとブログタイトルについて

子どもの頃から脈略のない話し方をして、よく分からないという反応をされて来ました。頭の中には常に雑念と言う名の思考が流れ、相手の与り知らない事情や持ち得ない知識を提示しないまま話し始めてしまうのです。自分の頭の中では繋がっている事象が、相手にとってはかけ離れた二つの点でしかなかったりするわけですから、当然訳がわからない事を言っている、という顔をされるのですが、子どもの頃は何故自分の方が立場が悪くなるのか分からず不服でした。

流石にそのコミュニケーションの取り方は不味かろうと、徐々に徐々に矯正をしてきて、最近は幾分マシになったのではないかと思っているのですが、そうやって心掛けた時間が人生の半分以上を占めようとしているこの時期にブログを始め、今日でほぼ一ヶ月が経ちました。

 

ブログを始めたきっかけは、友人の318ちゃん(ブログ開始して約1ヶ月で1000PVを達成していて凄い)がブログを開始した事、その他にもいくつか面白いブログを読んだ事でした。

318ちゃんのブログはこちら↓

venie318.hateblo.jp

雑念だらけの人間にとってTwitterこそ、その時の脳裏にある思念を垂れ流すのに最適なメディアでもあったのですが、(度が過ぎてお目汚しレベルの愚痴ボックスになってしまったのと)書籍や映画のレビューだったり、普段実生活で敢えて語らない好き勝手な自論を、ある程度まとまった分量で掲載出来る点でTwitterとは違う魅力を感じ、ちょっとオウンドメディア持ってみるぞワーイ\(^o^)/という気持ちで始めてみました。思った事を思った時に好きなだけ語れる。空気や状況を読まずに奔逸する思念のままに垂れ流せる。とても楽しそうです。

そのような文章は学生時代にでも書き散らして卒業しておけ、とは思わないでもないのですが、実はこれまで自主的に日記というものを書く習慣がなかった人間なので大目に見て頂ければ幸いです。

日記を書いて来なかった理由としては、ある種日記というものに先入観を持っていた事が大きく影響しているかもしれません。何となく「その日起こった出来事とそれに対する喜怒哀楽などの感想」を書くものだと思い込んでいたのです。私は結構小賢しい性格をしていて、起こった出来事の原因やメカニズムを分析して解析して解体し尽くして分かった気になりたいという人間なので、インターネットにおけるブログという形態は、従来の日記が果たす役割のその先の思考を可視化できるものとして映りました。

 

 

「思念が奔逸する」という概念は物心ついた頃から自分の中にあったような気がするのですが、言葉としては大学生くらいの時、もしかしたらTwitterを更新しながら「あー今めっちゃ思念奔逸してるわー」と自覚し、めちゃくちゃ概念が確立された感があったので、そのままブログタイトルにしました。

このブログのコンセプトに合致していて気に入っているのですが、記事を更新するにあたって思考の流れそのままの順序で記載していくと収拾がつかなくなることが目に見えているので、せめて(割とブログにありがちな)わかりやすいテーマを与えたり、分けて論じられるイシューは別記事にしたり、本論とは関係のない話は括弧書きや取り消し線、脚注で処理したりして、なんとか読んで下さる方や後から読み返す自分が理解しやすいように最低限努めております(本文を圧迫する程の文章量で脚注をつける事を「なんとなく、クリスタル」方式と心の中で名付けておりますが、本論とは何の関係もありません。つまり、そういう事です)。

 

 

この様な調子ですので、PV数は全然上がりませんがぼちぼち好き勝手書いてまいりますので、どうぞ、よしなにお願い致します。