思念が奔逸中

情報発信の体裁で雑念のみ垂れ流します

通りすがりの他人に趣味を垣間見られる事

何年か前にツイッターで#bookspyというハッシュタグが結構長期的なスパンで流行りました。外出先で本を読んでいる人を見つけた際に、本のタイトルや著者名、ざっくりとしたその人の属性とともにハッシュタグを付ける、という使い方です。例えば「〇〇電車内、学生風の男性、グリーンのモッズコート、(著者名)『作品タイトル』」というベースの情報に適宜「三分の一程度の進み具合。読んだことあるけどここからが面白い」とか「サラリーマンがこういう本を読んでるの意外」などといった所感を付け加えてみたりします。個人特定出来ない範囲とはいえ見方によっては悪趣味といえなくもないタグですが、ツイート内容自体は淡々と、あるいは好意的なものがほとんどで、主に通勤通学中の手持ち無沙汰な読書家達のひっそりとした楽しみだったように思います。

 

私自身もこのハッシュタグのツイートを眺めたり呟いたりして楽しんでいましたが、自分が出先で読書をする時はどうなのか、というと完全にブックカバーでガードの態勢です。お笑い芸人で芥川賞作家の又吉直樹氏が「読んでいて恥ずかしい本なんてない(だからカバーはつけない)」とおっしゃっていたような気がするのですが、どうにも自意識が邪魔してその境地には至れないままです。なまじ自分が#bookspyなどを使った事があるだけに「ベージュのトレンチコートの20代女性、東野圭吾を読んでる、文庫本最新刊人気だなあ」などと思われるのが分かってしまいます。

東野圭吾氏にも氏のファンの方にも何の恨みもなく引き合いに出して恐縮ですが(そして東野圭吾氏の本は大抵面白い)、あまりにも絶大なベストセラー作家の作品や比較的ライトめな作品を読んでいる所だけ切り取られると「今はそうだけど、いや、違うねん…」という気持ちになります。これは娯楽系の作品だけでなく、純文学の古典名作系(漱石とか太宰とか川端康成とか…?)でも作品によってはちょっと、という気になってくるので複雑な心理だなと思います。

 

ブックカバーを付ける理由は主に、何の本を読んでいるかを知られない為、ではあるのですがもう一つ大きな理由があります。

それは装丁自体を隠す為です。最近は少なくなったのかもしれませんが、たまに凄くダサい装丁がありますよね。池井戸潤氏の「半沢直樹」が映像化する以前の「オレバブ」シリーズなどは、企業小説を読みそうな中高年男性が、自分がターゲットだと認識する目印になるように敢えてコテコテなイラストにしていたりなど理由があるようですが、自分の持ち物としてはデザイン的にどうかな、という装丁はカバーを掛けたくなります。企業小説はともかく、昔家にあった赤川次郎氏の全然美人に見えない「三姉妹探偵団」シリーズなどには憤慨しました。

あとレアケースかもしれませんが装丁で他の人を攻撃しないように、という理由の時もあります。「ドグラ・マグラ」の角川文庫版とかちょっと怖いし猥褻物陳列にならないか心配です。実際は書店で陳列されているので大丈夫なはずですが攻撃性の高すぎる装丁です。阿部和重氏の「インディビジュアル・プロジェクション」(新潮文庫)とかもパッと見お洒落感がありますがちょっとアレだなあとかありますね。

 

最近は本に関してもCDなどに関しても(真冬にスタバでフラペチーノを注文する際も)、店舗で購入する際は堂々と出来るようになってきました。店舗側が商品として提供しておきながら、客側が購入を希望すると蔑むなんてあってはならない事だと思うと気が楽です。

 

ただ、未だに店頭で気後れがする時があるのは、コンビニでのチケット発券です。チケット自体はコンビニの商品ではないですし、マイナーめなバンドのイベントなど、コンビニの店員は存在自体知らない訳です。無数のイベントの発券をこなす店員が毎回何らかの感情を抱くとは思えないし、チケット名を読み上げられないのが救いですが、「泥沼の」とか「大惨事」とか書いてあると一体何を観に行くんだ、という気持ちになりそうです。いや、全然観に行くけど。

複数組のバンドやアーティストが出演し、リリースやら周年記念やらの特別な開催する理由がないイベントの場合タイトルには苦慮しそうです。特定のバンドが主催する形を取らないタイプのイベントは結構勢い任せの雑なネーミングがあるような気がします。たまに会場のスタッフの方の名前を冠したイベントなどは誰だよと思ったりもしますが、そもそもマイナーめなバンドのメンバーも一般的には誰だよになるので仕方ない気がしてきました。

一番良いのはシンプルに「『曲/アルバム名』リリースツアー」です。これで仮に『』内がふざけたタイトルだったとしたら仕方がありません。アーティスト側が満を辞して決定した作家性の発露ともいえる作品名に文句をつけるのは野暮ですし、鉤括弧でエクスキューズできます。

時々、作品名ではないのにアーティスト側の悪ふざけみたいな語感の面白さか内輪ネタで決めたようなツアータイトルがあります。自分達だけのイベントだからこその自由度の高い命名だと思うのですが、ラジオでおじさんDJがそのタイトルを紹介しているのを聴くとちょっと居た堪れない気持ちになります。

 

今のところそこまでウッとなるイベントにはあたってないし、行きたいイベントには結局タイトルがどうあれ行くのですが、ワンマンにせよツーマン以上にせよ、もし可能であればイベント名にはフラットな単語を使って頂けるとありがたいです。フラットな単語でもイベントの雰囲気やアーティストの世界観を表せるタイトルはつけられるはず。それかせめて鉤括弧、鉤括弧の活用をお願い致します。