自分の機嫌は一番重要だけど他人にとっては一番どうでもいい
というのは極論ですが割とそういう事だと思っていて。
「機嫌が悪くても落ち込んでいてもちゃんとやる」という事とはまた別で、機嫌というものは意識がある状態では常に存在する※1ので、意図的にシャットダウンしないと思考の大部分を占めてしまうという意味合いで一番重要、としています。そして多くの人は、その裏返しで他人にとって自分の機嫌は重要ではない※2と分かっているからこそ、一旦自分の感情を脇に置いて、相手の立場とか気持ちとか、円滑な進行を優先させながら過ごしているのではないでしょうか。※3
感情を脇に置く理由付けは
①今言っても相手が聴く耳を持っていないから
②相手に考慮すべき事情がある(かも知れない)から
③その方が案件が進行するから
④世の中にはもっと大変な人が居たり、考えるべき社会的な問題があるから
といったように沢山あって有り余ります。
そういったコミュニケーション上の軋轢とか仕事関係での紛糾などを大人な対応でサラッと交わしたつもりが、いざ事態が好転しそうになるとモヤモヤとした気持ちになることがあります。たとえば
①今は相手も落ち着いているけれど本当は、私に失望している/未だ怒っているのでは?
②そもそもこういう事態になったということは私の事を元々軽んじていたのでは?
③そもそも観点が違う話なのにな
などなど。考えだすとキリがありません。
そういう時に今更わだかまりを持つ自分は器が小さいのかな、などと余計に落ち込んだりもしてしまうものですが、それもあまり良い影響がなさそうです。
そこで最近私は【私に対して失礼】という概念を導入することにしています。※4
相手の方が優れて自分が劣っている点とか、考慮すべき事情とか諸々は置いておいて、人としてその態度/社会人としてその対応/私とあなたとの関係性でその物言い失礼だよね、とその部分に関しては素直に怒っても良いのではないのでしょうか。
そして「私に対して失礼なんて理由でその場で事を荒立てるのも大人気ないと思ったからそこそこの対応したけど、まあ失礼だよねー」と気心の知れた人に話せればベストです。きっとそこそこの対応をした事を褒めてくれるはず。話す人がいなければ自分で褒めたら良いと思います。※5
そうやって話せる人に話せる範囲で発散しながら、少し先の週末の予定とか、本棚、クローゼット、冷蔵庫、WALKMANの中身やSNSのタイムラインを自分の好きなもので満たして行くことで、自分の機嫌を取りながら生きていきたいと思っています。
※1 意図的に意識を拡散させたり手放す方法として飲酒がありますが、ほどほどにしておいた方が良いし、体質によっては(精神的にも物理的にも)悪い方向にしか行かない場合もありそうなのでお勧めはしません
※2「皆が気分良く進められるようにすべき(しよう、したいよね)」と言ってくる人の「皆」の中には大抵話しかけられている自分は含まれていなかったりする。「お前が我慢しろ」のパターンもあるけれどナチュラルに「お前が機嫌良かろうが悪かろうがそれは問題外」のパターンもあってそれはそれで虚しい
※3 心からその人の事を尊重したい場合、今はとりあえず優先してあげるねという場合、キーマンの機嫌を押さえると円滑に進むという場合など様々
※4 あまり「失礼」という考え方に馴染めない方は、感情がマイナスな方向に行く時の傾向に合わせて、「私は悲しい」とか「私に物理的な皺寄せが来ている」「理屈が合わない」などを適宜代入して頂ければ良いのではないかと思います
※5 こういう時にちゃんと共感してもらえそうな人選の見極めは大事