思念が奔逸中

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愛国心よりも郷土愛、という風潮

不定期にある愛国心をテーマにした曲※1 が炎上する案件がこの前も起こったから、という訳でもないのですが、なんとなくここ数年単位で持っていた違和感について書いてみたいと思います。

この記事は随筆です。個別の事象についてや政治、表現の自由について議論するものではありません。また用語や思想に関して学術的な裏付けを取って論じている訳ではありませんのでご了承下さい。

 

愛国心」という言葉は手垢にまみれていて、人によって定義が違っていてファジーな単語です。一方「郷土愛」は比較的固定のイメージが共有出来そうな単語です。私の中での二者のざっくり定義は下記のようになります。

愛国心: 国家という政治共同体に対して愛をもつ心 ≒ナショナリズム

郷土愛: 生まれ育った土地の風土や文化に対する愛(を持つ心) ≒パトリオティズム

 

この国家に対する「愛」がどうにも「無批判に自分の所属する国家を崇めたてる」という形として解釈されがちなため、愛国心を謳った文化的なコンテンツが炎上するように思います。「クリティカルな視点を持ち、是正すべきところはしながらよりよい国家にしていく。その上で不必要に卑下せず良きところは誇る」という風な解釈も可能なはずですが、そのような文脈で語られる場面は前者より少なく感じます。

「政治家にはナショナリズムが必要だが一般市民はナショナリズムよりパトリオティズムを持つべき」という言説※2 があります。日々新しい法案を通している(与野党問わずの)政治家の皆さんが無批判に国家を崇めたり自己との同一化を図っているとは考えにくいのでやはりナショナリズム愛国心は後者の解釈をするのが妥当だと思います。

未だ途上とはいえ、ここ数年で労働やジェンダーの分野で倫理規範の基準が目覚ましく進歩した事を思えば、デリケートな問題※3 もありますが、この辺りの価値観もそろそろアップデートされてもいいのではないでしょうか。

 

というのが壮大な前振りで、私が思っていた違和感は「市民にはナショナリズムよりパトリオティズム」という風潮についてです。なんか愛国心と比べて郷土愛、めちゃめちゃ推されていません?

愛国心が国家に基づくならば、郷土愛は生まれ育った土地(主に市町村、広くて都道府県や藩レベル)の自然環境やそれによって醸成された産業や気風に対するものだと認識しています。だとすると私はそこまで郷土愛を持っていない気がします。

もちろん地元の景観が嫌いではないですし、地元発祥の企業や名物が褒められれば嬉しくなります。しかし振り返ってみると子どもの頃から地元で就職して生活するというビジョンを持った事がないと気付きました。もともと先祖代々が住んでいる土地ではないのも多分に影響していますが、地元が嫌で早く出たいというよりも、進学を機に当然出て行くものだという認識でした。

少し前に都会と田舎の土地レベルでの文化資本の格差(というか田舎の学歴に対する価値観レベルでのアクセシビリティの弱さみたいな話。リンクは貼らない)についての記事が話を盛り過ぎていて炎上していました。事実を曲げてまで伝えるのは問題ですが、故郷というものは過度に希望的か絶望的にしか語れないのであれば私は後者だなと思います。※4

学歴云々や生活の利便性の問題ではなく、なんとなく自分の生まれ育った街が称揚している文化が合わないというのはある意味絶望かも知れません。私の育った土地(といっても区とかそれ以下の町レベル)は比較的スポーツや健康を称揚しがち※5 で、運動が不得手でスポーツ観戦にも興味がなかった私は、肩身が狭いというかそこはかとない違和感を憶えていました。

私の場合は子どもの頃の行動範囲が極端に狭かったので、ほんの一歩外に出るだけで違う世界があり良かったのですが、色々な人が偶然そこに生まれ住んでいる訳ですから、生まれ育った土地の気風が自分の性格や特性に合わず別の土地のそれの方が合っていると感じる事はままありそうです。※6

それを「私は〇〇県より△△県の文化や気風が好き」というような認識にならないとフワッと「自国の文化が好き」みたいな愛国心寄りな気持ちになるような気がします。そこに国家や国籍の話は介在していないので、本来なら愛国心ではなく国という広めの範囲に対する郷土愛なのですが、郷土愛という単語のイメージが強すぎて郷土愛と言いたくない…となります。

郷土愛という単語のイメージは極めて素朴で、大抵「ふるさと」みたいな歌※7 は、山河などの景観と恩師や近所の人や気心の知れたホーミーなどが出て来て、場合によってはそこに産業や気風などのローカル色のあるフレーバーを散りばめたものです。汎用性の高い郷土愛ソングになればなるほど人に焦点が当たりがちですが、人間関係は最早郷土と関係がありません(自然環境→気風→人、あるいは自然環境→産業→気風→人なので当然の帰着ではありますが)。

こうやって突き詰めて考えてみると郷土愛もまた愛国心と同様にファジーな概念ですね。愛国心は国家という枠組みに紐づくというのも仮定義なので、この二つの境界も人によってかなり異なりそうです。

色々書いてみましたが、現在一歩ひいて故郷を見ると良い点は沢山あるし、出入国手続きのスムーズさに日本のパスポートありがとうと思うし選挙にも行きたいので郷土愛も愛国心も持っていたいと思います。

 

※1 まず「歌」というものが身体的な作用があって人間の根源的な何かだから炎上しやすい媒体ですが、そこに愛国とスポーツ(と旗などの象徴やモチーフ)が加わると燃えやすいですよね

※2 「国家の品格」に書いてあったと思っている

※3 例えばハーケンクロイツそのものを転用するのは絶対アウトですが、ハーケンクロイツ以前から存在する寺院の地図記号や卍という漢字は問題なく使えています。負の歴史を無かったことにしようとは思いませんが、後から付けられた悪いイメージのせいで本来の意味から乖離していくのにモヤモヤとした気持ちがあります。もちろん不愉快な気持ちは尊重されるべきですが(わざわざ不必要にユダヤ人やドイツ人の方の前で寺院マークや卍を書いたりしないですし)

※4 生まれ育った土地に暮らす人の殆どが地に足のついた気持ちだとは思います。めちゃくちゃ希望的に語る事にも反対しません

※5 大抵子どものうちは健康やスポーツが称揚されがちだし、子ども自身もそこに価値を置きがちだから、最早土地の問題では無いのかも。でも異様に文豪ゆかりの地に憧れがある。という事は逆パターンの憧憬もあるよね

※6 「地元」よりは少ないと思いますが、自国の気風が合わないと感じ外国に住む人もいますよね

※7 ほっこり系ソング以外でも土地に紐付けられたアーティストは沢山いて、曲が良ければ何でも良いんだけど結果的に「地元ラブ」といいつつ故郷に帰る気がなさそうなアーティストを好んで聴きがちです。ではあるものの地方にあまねく色々な音楽を聴く機会があれば人口流出の歯止めになるのでは、と思ったり。