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原作ファンが出来るだけ核心に触れずに 映画「パンク侍、斬られて候」の感想を述べる

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先日、映画「パンク侍、斬られて候」を観て参りました。原作の同名小説を読んで原作者町田康のファンになった私は、映画化されると聞いたと同時に観に行く事を決意していました。しかも主演の綾野剛を始めキャストが豪華。そのキャストやスタッフの原作へのリスペクト溢れるコメント。公開されたビジュアルも好きな感じ。映画化不可能と言われていた原作ですが、あのシーンはどうなるんだろう…というワクワク感もあり比較的期待しかない気持ちで視聴しました。

 

感想としては めっちゃ良かった!!!

 

この映画、おそらく好き嫌いというか向き不向きがはっきり分かれるタイプだと思います。でも原作を読んでその世界観が受け入れられたなら大丈夫!置いてけぼりになる心配さえクリアしたらとても楽しめる映画です。

そして結論から先に述べると、この作品、原作の形を最大限に残しながら映画という媒体に表現を最適化した、という点で最高です。

 

というわけでパンク侍の映画どこが良いの?というお話を「小説の映画化」という観点から述べていきます。

 

① 要素の削ぎ落としや繋ぎ方の鮮やかさ

どこをどう改変したという事はネタバレになるので書きませんが、決して大幅な変更はありません。(人によっては好きなシーンが削られたなどあるとは思いますが)小説としては読めても2時間強の映像の中では回りくどくなってしまう展開などをスッと切って繋いで本筋に戻してくる手並みの鮮やかさ。そしてその部分にも面白さを追加してくるあたりはさすがです。

原作小説はストーリー性云々というより、文章を追っていたら何か色々起こった!というタイプの作品が故、意外と心に留まらないところは忘れがちなので、映画の後本を読み返してみると、思ったより改変されていたんだなと気が付きました。大筋の流れと作品としての軸がブレなければ不必要な所はバッサリ行っても大丈夫なんですね。

 

② 原作のエッセンスを持ちながらも、今の時代の映画としてアレンジされたセリフ回し

脚本家がクドカンこと宮藤官九郎なのでセリフが面白くなる事は折り込み済みでした(あの時代設定に横文字を多用したセリフ、原作を知らなかったら宮藤氏の発案だと思う人がいるのかな、という余計な心配をしていた)。しかし映画をみた当初は原作そのままのセリフが多用されている印象がありました。

しかし本を読み返してみると、意外とそのままのセリフは多くありません。原作小説には「冗長に喋る」という特徴があります。小説であれば冗長さで生じる可笑しみをなどを楽しめますが、映画のセリフとしてはまどろっこしくなる部分もあります。そのセリフを「あー、原作でも言ってた」と錯覚するレベルで原作のエッセンスを継承しながらも、映画らしく現代的な要素も取り入れながら聞きやすいセリフに置き換えています。

また原作の文体は「祝着」「卒爾」などの堅めの時代がかった単語や「してこます」「せんければならん」といった言い回しが頻出し独特な癖があります(河内弁か泉州弁が元になっているのでしょうか)。こちらも音声で聴くとクドい印象になりそうですが、映画ではその要素はなくサッパリとした印象になっています。

 

ここまでで言いたいのは、クドカン凄かったんだな!という事です。

宮藤官九郎脚本作品は断片的に触れてきたような記憶はあるのですが、なんとなくセリフを始めとして面白い脚本を書く、というイメージしかありませんでした。多分良い脚本家だとは思うけれど、なんとなく「真っ直ぐでちょっとダメな所のある主人公の笑いあり涙ありのハートフルコメディ(阿部サダヲ出演)」※1という類の作品に携わっているという勝手な印象があり、自分の興味範囲と被らずそこまで注目していませんでした。原作がある映像作品の脚本の具体的な仕事の内容をいまいち理解していなかったというのもありますが、私の中でクドカンへの再評価が熱いです。

原作を損なわずに紙の上の文章でのみ触れてきたあの登場人物たちがスクリーンの中で生きている!という楽しさへ昇華しきっています。

 

さて、ここまでは原作を知る方々に対してこの映画の素晴らしさを語らせていただきましたが、そうではない方々にも向けてお伝えしたいのが

③ 本作の映画的な魅力的について

まずはキャストが素晴らしい。正直原作小説を読んでも、どのキャラクターにどの俳優が適任かということが思いつかなかったのですが、結果的に全員が嵌っている!

全員の名前を挙げるとキリがないけれど、まず北川景子の可憐さとミステリアスな雰囲気の多面性と圧倒的な美しさの説得力。演技派で色々な役をこなしている染谷将太ゆとり世代風な人物造形へのリアリティ。唯一実力派のイメージがなかった(失礼)東出昌大のお殿様役への嵌り方。内藤帯刀役の豊川悦司・大浦主膳役の國村隼という配役を知った時は、原作のイメージからすると逆では?と思ったけれど※2、観てみるとこれで正解でした(公式の云うように、國村さんは超キュートだし豊川さんは超キレモノ。イイ)。猿は殆ど顔が見えないのに永瀬正敏を起用するという贅沢。主演の綾野剛もめちゃめちゃ良かったのですが、それが一瞬霞むくらい皆さん凄かった。多分綾野さんはナチュラルに掛十之進そのものすぎたのだと思います。あとアクションが良かったのと原作だと伝わりにくい人たらし的な感じ※3が凄く出ていました。

その他には迫力ある戦闘場面、現実にはあり得ない映像の数々。サイケ味のある鮮やかな色調の衣装。屋敷や寺、外れのスラムっぽい街並みなどの映像美など映画的な醍醐味がたくさん詰まっています。※4

内容はブッ飛んでるので、見終わったあとに一応のあらすじがトレース出来ればOKくらいの気持ちで見て頂ければと思います。江下レの魂次(えげれのこんじ)という人名や変粉(へんこ)という店名など一般的な日本語感覚から外れた固有名詞が出てきますが、そこには引っかからずそういう世界観だと思って下さい。

 

正直、映画なんて感性の問題な所もあるし何が好みのツボか何がNGポイントかは人それぞれなので、そこを気にし出したら何もお勧め出来なくなるので気にしない。

とにかくこの記事を読んで少しでも興味を持ったら映画館で観てみて下さい!

私は今からDVDを購入するつもりでいるので、円盤化されなかったら困ります!

 

※0 この記事では人名は初回フルネームでの記載の際は敬称略、その後は呼びたいように呼ぶ体裁を取っています。

※1 勝手なイメージですがそのようなハートフルコメディかローカルな若者文化の中で起きるハチャメチャ劇のどちらかのイメージがあります。自分の関心の範囲内で作品を観るのでクドカン氏を脚本家としてより役者として見かける率の方が高い気も。阿部サダヲ氏は医龍の麻酔科医の役が一番好きです。

※2 元々は内藤が頭脳派で狸ジジイ風、大浦が直情的な武闘派、という印象。

※3 そもそも当作品は登場人物の誰かに同一化したり愛着を持つタイプの話ではないと思っているのですが、原作の文章だと掛に対して可愛げみたいなものは感じませんでした(客観的に人物を見る滑稽味や言ってることの面白さがあります)。映画では軽めになったセリフと生身の人間として可視化される事によって、何だかんだ人に可愛がられる感じが出ていました。

※4 映画の主題歌が何になるかも楽しみにしているので、アナーキー・イン・ザ・U.K.の許諾が取れたのめっちゃ良かったなと思います。エンドロールで感覚ピエロが起用されたのは何故?と思ったけれど多分真面目に受け取ってはいけないやつ(というか絶対笑わせにきてる)なのではと勝手に解釈しています。パンク。