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反骨とパラノイア

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この記事を拝読し、「そうは言ってもドロスの曲は英詞の方が好きだし、KABUTOはイントロからして格好良いやろ」などと思いながら入眠したら、川上洋平氏と羊羹を食べる夢を見たので、何らか還元しなければならないと思い筆を執っています。

とはいえ、[ALEXANDROS]の日本語の曲が良くないと言っている訳では無いですし、遊津場さんの記事に異議を唱えるつもりもありません。寧ろ、邦楽ロックを聴いている人がどういう動機で聴いているのか興味深く、音楽的な考察としても勉強になりました。

上記の記事の要旨をざっくりまとめると

・邦楽は歌詞一点突破型が多い

・洋楽は音自体を楽しむ作りになる傾向がある

・邦楽の進化が止まっている?w-inds.、ヤバTへの言及

・優劣の問題ではなくその音楽との出会い方の問題

との事です。(間違っていたらご指摘下さいませ)

 

この記事はそれを受け、私なりに何故洋楽を聴くのか、そして邦楽ロックを聴いてみるつもりがなんだかマニアックな所に辿り着いてしまった感があるので、その辺りの個人的な考察を記すものとなります。多分何かいけすかない感じの文章になると思うので、洋楽を聴く人や私と同じアーティストが好きな人が同じ考えではないと言うことは最初に申し添えて置きます。あと英語が分かる人は完全に当てはまらないように思います。

などと沢山エクスキューズを言い置いた所で行ってみます。

 

 

①そもそも洋楽に耳が慣れている

元々古い洋楽ロックを聴く親のいる家庭で育ったのと、邦楽ロックを経由せず、中学生時分から洋楽に嵌り出したため、耳馴染みがあるというのは大きな要素かも知れません。音楽的素養はないので、洋楽っぽい特徴といえば裏拍が多いとか、割と歪んだ音が多い気がする…?くらいしか思いつかない。のでいつも通り歌詞の話をすると

・英詞は日本語の詞に比べ、ラップじゃなくても韻を踏む率が高い

・日本語は母音と子音がほぼ一対なのに対し、英語は一音節に複数子音が詰まっているので、間延びして聴こえにくい

・上記も踏まえ、意味に引っ張られず言語を楽器のように捉えて聴くことがしやすい

この辺りが歌詞的な観点からの耳馴染みといえそうです。

 

②歌詞の内容について

所謂いい曲、つまり、爽やかで元気が出るとか、心温まるとか、毒気のない切なさなどを醸し出す詞を、便宜上「共感前提型」と呼ぶことにします。

私も邦楽を聴くようになって、これまでなんとなく聴いていた曲も、変わった表現の切り口や叙情的な美しさなど良い詩があると思うようになりました(当たり前だけど皆が皆「空を見上げ」たり「君の名を呼ん」だりしてる訳じゃないね!)※1。

しかし個人的な事ですが、私はどうにも共感前提型の曲ばかり聴いていると疲れてしまうようで※2 普段聴く曲の3割程度が丁度いいかなと思っています。ところが、実際の数は別としてですが、やはり共感前提型はリリースの仕方やマスな媒体への露出によって発見しやすい所にあるため、そうでない曲を探す方が労力がかかります。

そうでない曲というのは色々とあります。たとえば、反骨精神※3 があったり皮肉や諧謔を帯びている曲は、誰か/何かに与しないという共感とは異なる立ち位置となります。あるいは抽象的な内容だったり、テーマや思想に独自性があるものが当てはまります。共感前提型の作詞者が本当に思って書いてないとは全く思っていませんが、「皆共感してくれるはず」という曲(で共感できずに疎外される)より「共感されなくても思ってる事を書く」の方が潔くて、共感できたときに嬉しい気がします。

そうなると、気分でない曲を聴くよりは、歌詞を瞬時に知覚できない英詞の曲を聴くようになります。日本語詞だと好みじゃない方向性や陳腐な表現にげんなりしやすいですが、外国語であればよっぽど反感を持つ内容で無い限り許容できます。たとえLimp Bizkitがピークを過ぎてから本国である種の層からアホの聴く曲として蛇蝎のように嫌われようが※4 、音さえ良ければ私には関係がありません。

というか、Limp Bizkitの曲が日本語詞だとしたら聴くに耐えないと思います。身勝手な事に、過激だったり下品な言葉を音声で聴くのは、母国語より外国語の方が心理的なハードルが下がるようです。

あと、洋楽は割とパラノイアについて歌いがちです。これはインテリ系も悪ぶってる系もどちらにも当てはまります。パラノイアが英語でどのくらい日常的に使われるのかは分かりませんが、日本語詞では中々パラノイアの話はしないし、実際にごりごりパラノイアックな歌詞は聴くに耐えないかも知れません。

 

③そうはいっても筆者は最近(限られた範囲の)邦楽ばかり聴いている件

この辺りは私が活字マニア且つ言語感覚フェチ※5 なのが影響しています。

活字として読んで興味深く思考強度を感じる歌詞、素敵に表現するというより感覚に忠実に表現した結果の意外性ある単語の選択や並び。こう言った歌詞は結果的に、情報量が多くなり字数が詰まったり、物語性を省いた分韻を踏んでいたり、①の要素に近づいていないこともない気がします。あとよくよく読んでみるとパラノイアの話をしてくれている事があります。

 

④新しい音楽は誰に紹介してもらったら良い?

冒頭でご紹介した遊津場さんの記事では、どんな音楽が好きになるかは出会い方(≒誰に教えてもらったか)による、との事ですが、これは本当にそうだと思います。

よく考えたら私は中学の時もう少しKICK THE CAN CREWに嵌っていても良かったように思いますが、ウザい先輩が歌っていたせいか言うほど嵌りませんでした。

今の時代、人に紹介されなくても色々な媒体で音楽を探せるし、自分の耳で好き嫌いを決められる時代ではあります。音楽記事や動画サイト、アーティスト同士のSNSでの繋がり、実際聴いたライブで探すのは楽しいですが、その中で如何に効率よく自分好みの新しい音楽に出会えるか。それは自分の好きなアーティストからの紹介のような気がします。

そもそも自分の好きな音楽を提供しているアーティストですから好みの傾向が似ている可能性は高いです。プロのアーティストが圧倒的に知識や守備範囲が広い事を割り引いても、どんな趣味か分からない素人の知人よりは打率が高そうです。

だってw-inds.が居なかったらLimp Bizkitを聴いていない※6 し、[ALEXANDROS]が英詞で歌っていなかったら邦楽に興味を持っていないから!

 

そうです。奇しくも私に、洋楽・邦楽という両方の「分野」に興味を持たせた人々の名前が同じ記事に出ていたので書いてみました。やっぱり音楽業者の影響力、プロの力半端ないですね。

 

※1 クソ餓鬼だったのでAqua Timezの「辛い時辛い時言えたらいいのになぁ」という歌詞を聴いて「その辛ぇという歌詞を書けよ」と思っていたのですが、流石に今は一応意味がわかります。

※2 感情移入し続けたり同調を求められ続けるとしんどくなります。あと単純に心が汚い。割といつでも権力闘争の小説を読みたい。

※3 反骨精神があって爽やかになれる曲に「俺はロックスターになってやる」系があります。抽象度の高い歌詞にもその傾向がありますが、私自身の人生と「ロックスターになる事」とはこれまでもこれからも無関係なので、当事者意識を持たず軽やかな気持ちで、純粋に曲を楽しみ応援することが出来ます。(なんだかBL漫画を嗜む女性の一意見みたいな言い方ですが構造としては同じだと思います)。

※4 日本でいうと一時期評価を落とした時のORANGE RANGEに近しいのかもしれませんが、アメリカの事なのでもっと落差が激しそうです。

※5 言葉本来の意味だと「眼鏡フェチ」は物だから正しく、「脚フェチ」は本人そのものだから誤用という事になりますが、言語感覚は人の器官から発して本人を離れて存在するのでギリギリ正当だと思います。

※6 中学生の時のクラスでジャニーズではなくビジョンファクトリー系のアイドルが流行った時期がありました。Limp Bizkitについてはラジオで紹介されていたと思うのですが、直後に洋楽に入れ込みだしほぼ興味を失ったので、こういう事を恩知らずというのかも知れません。