思念が奔逸中

情報発信の体裁で雑念のみ垂れ流します

広告炎上の原因は結局 誰が誰に向かって言っているかという構造と文脈の問題だと思う

※個人の感想です

今年に入り二ヶ月が経ちましたが、今年もハイペースで広告炎上が起きていて驚いております。特にLOFTのバレンタインの件では思うところも多く色々纏めたいなと考えていたのですが、そんな中こちらの本が良いよという評判を見たので早速読んでみました。

 

 

炎上しない企業情報発信 ジェンダーはビジネスの新教養である

炎上しない企業情報発信 ジェンダーはビジネスの新教養である

 

 

本書は、ジェンダーの取り扱いが原因で炎上した広告事例の分析と、ディズニー映画における女性の描き方の分析を通し、「炎上しない企業情報発信」をする為に必要な観点を示したものです。ディズニーに関する章は全く知らない分野だった事もあり、ディズニーの大衆に受け入れられるような旧来のエッセンスの残し方など非常に興味深く読みました。

しかし今回は広告炎上に焦点を絞って読書感想文を書きます。

 

一通り色々な事例を読んで率直に思ったのは結局何が癇に触るかは千差万別だという事。たとえば一視聴者の率直な感想として、私は女性ですが、事例にあった宮崎県日向市のPR動画で描かれる「あるべき男性像」に対して違和感を覚えました。一方、サントリーの「頂」に対しては不適切だと思うけれどある意味現実味がなさすぎて怒る気にもなれないという印象でした。むしろ檀れい版の「金麦」の方が、ファンタジーでありながら妙に現実味があって笑えない気がしました(別に取り下げろとも思わなかったしビールは美味しければ何でもいい)。

多くの視聴者は、世の中に数多くある広告の全てが自分の価値観と合致するべきだと思っているわけではないと思います。広告炎上は個人の快/不快だけでなく構造と文脈の不味さによって起こっていると考えられます。

 

⑴顧客を揶揄する構造

先日起こったLOFTのバレンタイン広告の炎上はまさに「顧客を揶揄する構造」によって起きています。あの図柄がショッピングバッグではなく、たとえばビレバン辺りで売っているような雑貨として自発的に購入して楽しむものであったとしたらサブカルカワイイで問題は無かったでしょう。

問題は、顧客としてターゲティングしている層を小馬鹿にしているように見える、という構造にあります。一部報道では「女性全体が裏で足の引っ張り合いをしているという描き方で自分も同じだと誤解される」というクレームがあったという様に伝えられていましたが、本気でそう思っている人はそこまでいないのではないかと思います。どちらかというと「広告の訴求層として尊重されるべき立場のはずが、真正面から揶揄の対象にされた」事に対する不快感ではないでしょうか。更に、そもそも嫌がらせをしている場面が描かれた紙袋に入れてチョコレートを渡す事の是非とか、ウェブ動画にしても何を訴求したいのかが不可解な出来であったことから輪をかけて炎上に繋がったとみています。

 

この、顧客を揶揄する構造による炎上は2018年にキリンビバレッジのSNS広告「#午後ティー女子」でも起きています。共通点としては既に女性の支持をある程度獲得している女性クリエイターを起用している事が挙げられます。

ここからは完全に憶測なのですが、この様なクリエイターに目を付ける辺り、企業側の担当にも女性(か少なくとも若手社員)が含まれていたように感じます。正直LOFTの動画や午後ティー女子の人物像の絶妙なニュアンスが、「ズッ友って何?」などと言い出しかねないようなおじさん社員が理解して推進したとは考えにくいです。中高年の男性社員は決裁権者として存在したかもしれないけれど、むしろ内容に関しては人気の女性クリエーターがいるからお任せする、というスタンスだったのではないでしょうか。更に担当者側はクリエイターや訴求層に近い属性だった場合、「企業→顧客層」ではなく「私達→私達」という共感ベースのコミュニケーションとして自虐ネタのつもりで発信する、という事態になると考えられます。上記の企業に実際に当てはまるかは分かりませんが、顧客層のセンスに理解のある現場担当とそうでない決裁権者という組み合わせでは起こりうることだと思います。その為にも、企業広告という文脈である事を意識し、チェック出来る体制は必要です。

この広告は炎上を受けて取り下げられましたが、それを受けて表現規制だとかつまらない世の中になるといった意見も聴かれました。私自身は広告を取り下げるのは企業判断だと思うので、それに対して企業を批判するのは筋が違うかなと思っています。企業が自社の予算で作成した広告で、これが訴求層に刺さらなかったから取り下げるというのは自由だと考えます。これだけ書いておきながらですが、私自身はこのバレンタインキャンペーンの訴求層には居ないので、この広告が刺さっているのかは分かりません。しかし、キャンペーンには当てはまらなくともLOFT自体の幅広い対象層への印象も考慮して、継続掲載がマイナスになるという判断だったと推察します。

蛇足ですが、この炎上が始まったのが週末、土日を挟んで月曜日の午前中に取り下げが発表された事に関しては、LOFTの社員の方はちゃんと土日を休めたようでホワイト企業っぽくてそこに対しては好感度が上がりました。別にあの広告が土日に掲載されていようが誰も死なないし。

 

⑵特に誰が言っているかが問題であるケース

広告炎上が誰が誰に対して発信しているか、に依拠している事は、直接訴求層を揶揄するパターン以外の事例にも当てはまるように思います。2017年にはちふれ化粧品が「女磨きレベル診断」というウェブ広告を打ち炎上しました。この広告は「診断」のコンテンツに対してや女性に対して強迫観念を煽っている点を批判されましたが、それだけでなく「ちふれ化粧品」が発信した事が炎上化させる大きな要因だったと思われます。ちふれ化粧品は華美なイメージは無く品質の良さで勝負するようなブランディングをしています。対外的に自分を飾る為というより生活に密着した使用シーンが想定されていて、値段も比較的安価です。化粧品会社の中でも特にこのような実直なイメージのあるちふれ化粧品からの発信だったからこそ、視聴者のショックが大きかったと言えます。

 

対象が女性以外で炎上した例に、2018年の東京都のパラリンピック広告があります。この広告は、パラリンピック選手の写真の上に、その選手の過去のインタビュー等から言葉を抜粋しコピーとしたものです。その中の一パターンに「障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ。」というコピーがあり炎上しました。元々は当該の選手が自分自身を鼓舞する為に言った何の問題も無い発言でしたが、この部分が切り取られ、発言の主体が東京都のように見られた事で炎上に繋がりました。そもそも「言い訳するな」系の言説は当たりが強く、自分自身に対してか、特に信頼関係を築けている間で成立する言葉です。それが、「選手が自分自身に」という関係性が見えづらかった(駅に掲出されているものを一瞬で解釈することは難しい)ことに加え、特にポリコレに注意を払っているはずの行政(行政の広報は掲載される人物のイラストの男女比まで調整するような世界です)から発信されたことが、反発を強めたと考えられます。

 

上記の事例から、特定の企業(団体)が言っているからという理由でより炎上が増すことが分かります。自分の企業や団体がどういった理念を提唱していて、どういったイメージを持たれているか、何を期待されているかという事にも目を配らないといけないという事ではないでしょうか。

 

⑶良いことを言ってるっぽいのに鼻につく?

この記事を書くにあたって、実は自分の中で消化出来ていない広告がありました。今年初めの西武そごうの広告です。というのもコピー自体は確かに理想論的ではあるもののそう悪くないように感じたからです。確かに要旨が分かりづらい文章ではあるけれど主張の内容自体は真っ当なもので、炎上にいたる要素はあるだろうかと思いました。そんな折に、下記のサイトの記事でこの広告について的確に分析されていたのでとても腑に落ちました。

zakkan-vivi.com

おそらく私はここで説明されている言外に言いたい事をある程度脳内で補足して読んでいたのでそこまで反発を覚えなかったのだと思います。しかし、それでもこのポスターに好感は持てません。世間ではコピーに関しての批判が多かったようだけれど、これはコピーだけの責任というより顔にパイがぶつけられているビジュアルとのミスマッチと、ビジュアルそのものの不快感も原因のように思います。

コピーでは結論部分でかなり希望的な事が謳われているにも拘らず、ビジュアルはパイを投げられて顔が見えないという悲惨な状況で、落差が激しく唐突な印象を与えています。もちろん、コピーの前半で述べられている女性を取り巻く悪い現状の比喩である事は理解に能うのですが、何故その部分をビジュアル化しようとしたのかという疑問が浮かんできます(これはもう一つの明るいビジュアルのものと一対になる前提のようだったけれど、拡散された方だけ見ると奇を衒っただけでは?という印象に)。そもそも女性が虐げられているという悪いイメージのものが視覚化される事自体がポスターの印象を暗くしてしまい、あまりこの手の広告に(それも新年から)合わない表現だったようにも思います。

また一個人の勝手な意見としては、パイ投げってそんなに世間に受け入られている文化なんですかね?というのがあります。あくまで広告なので差別や偏見、犯罪をある種のポップな比喩に落とし込む必要性はありますが、これは比喩としてある意味的確過ぎて良くなかった気もします。パイ投げは一般的に内輪でのジョークや悪ノリで行われますが、投げる方は楽しんでいても投げられる方は全然楽しくないパターンは結構あるのではないでしょうか。この両者の非対称な関係性が、ちょうど差別的な発言をする側の「冗談のつもりだったのにそんなに怒るなんて」みたいな意識と妙にリンクして笑えない気持ちになりました。「深刻な状況がある」という現状はちゃんと認識している割に、ジョークグッズに落とし込むのか、みたいなところにモヤモヤが発生するのかも知れません。などと宣っていますが、なんというか私パイ投げ嫌いなんすよ。

ポスターと一緒に展開されていた動画に関しては、百貨店らしいお洒落感もありつつ、ポスターから受ける印象よりも力強い印象で何が言いたかったのかもう少し分かるようになっています(最後は確かにパイを拭うだけでなくカメラに投げ返す方が良かったかも)。


【西武・そごう】わたしは、私。オリジナルムービー

これは安藤サクラさんの演技力があった事も大きいと思います。安藤サクラさんを起用したのはこの演技力や広告に出た時の訴求力などを正当に評価しての事だと思いますが、それ以外の視点からもバランスの取れたキャスティングだなと思いました。この広告内容でもう少し若かったり無名の人を起用してしまうとより悲壮感が出てしまうし、さらにキャリアが上の人だと現実感が無くなってしまいます。安藤さん自身は芸能一家だったりお子さんがいたりしますが、あまりそういった背景を感じさせず一個人として評価されているので、広告のメッセージがブレるような余計な文脈が発生しない人選だと思います(だから今一番きてる女優の顔を見せないみたいな奇の衒い方をするから炎上するんじゃんか素直に安藤サクラ出しといたら良かったのに)。

 

良いことを言ってる風なのに炎上したので思い出すのは2017年の牛乳石鹸WEB動画です。概要としては、「父親の在り方に葛藤を抱える男性が、子どもの誕生日に約束を違え遅くに帰宅、その後牛乳石鹸のメインコピーである"さ、洗い流そ"が出てくる」というものでした。何か問題提起したい意識は感じるし、文芸作品なら問題なかったのかも知れませんが、父親の行動がサイコ過ぎて(まったく連絡をせず生ケーキ購入後に後輩と飲みに行く!)メッセージ的なものが頭に入ってきませんでした。

牛乳石鹸に関しては、それ以前にもこの「さ、洗い流そ」のシリーズで「今日も若手社員を泣かせてしまって。自責の念でいっぱいです。」というコピーとともに満面の笑顔の女性というポスターでざわつかせたのでその頃から炎上の萌芽はあったと思われます。「さ、洗い流そ」のシリーズは本来、日常的な葛藤や挫折を洗い流しまた明日から頑張ろう、というようなメッセージを色々な職業の方をピックアップして表現するという意欲的な広告だったと思うのですが、誰かに迷惑をかけたり傷つけるような描写の上に「さ、洗い流そ」は文脈的にアウトだったのかなと思います。

 

⑷最近の事例

この記事を書いているうちに、トヨタTwitterアンケート(女性ドライバーの皆様へ質問です。やっぱり車の運転って苦手ですか?)が炎上し、そんな中で日本文学者でコメンテーターのロバート・キャンベル氏がワイドショーにて図らずも広告炎上は文脈の問題だとおっしゃっていました。キャンベル氏の「性別で能力を限定するような偏見を、影響力のある大企業が助長してはいけない(要約)」というような部分(司会者に「それは正論なんだけど」と評されていた)は示唆に富んでおり異論はありません。しかし炎上という部分に着目すると「やっぱり◯◯苦手ですか?」という構文は単純にムカつくのでは?と思いました。

たとえば

「高卒の皆様、やっぱり漢字を読むのは苦手ですか?」

「65歳以上の皆様、やっぱりパソコンは苦手ですか?」

どちらの文章も言われた側はイラッとすると思いますが、上の文章については自分がどういった学歴であっても、自身が漢字が得意か苦手かに拘らず、この文章はマズイ、と思うのではないでしょうか。明らかに学歴差別的であるし、漢字が得意であるという反証はあらゆる面から行えるからです。

下の文章はまだ世間的なイメージにも合致しているし、反証も個別の事例ごと(誰々は65歳以上だが得意だ)になりそうですが、それでもその後に「それは先入観で誰でも出来ますよ」もしくは「苦手意識を無くすよう設計やナビゲーションを改善します」という流れにならないとプロモーションにはなりません(今回はTwitterアンケートということもあって、煽りの部分だけしか発信出来なかったのも良くなかったのでしょう)。またこの質問を65歳以上のIT企業の重役にしたら失笑を買うのは目に見えています。にも拘らず、(企業が対象層の個別の状況を知り得ない広報媒体でのコミュニケーションで)女性ドライバーに対しては明らかに癇に触る構文をぶつけてくる構造に「舐めてるな」という印象を持たれたのではないでしょうか。 

当該のワイドショーでは別のコメンテーターが「たとえば"やっぱり男性って料理苦手ですか?"は駄目なのか」という疑問を提起されていました。個人間のやり取りであれば、それこそ関係性と文脈によると思うのですが、広告だった場合に炎上するかどうかは微妙な気がします。男性にとって料理は高めるべきスキルと捉えていない層、寧ろ出来ないことがステータスだと思っている層にとって、この質問は何の痛痒もないでしょう。そう考えると、キャンベル氏の「正論」部分を発信していくことは、生まれ持った属性で能力を限定されない為に、意味があるのではないかと思います。