思念が奔逸中

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愚痴を吐くお作法の話

「愚痴ばかりの職場の呑み会なんて絶対行きたくない。ネガティブな雰囲気がしんどいし建設的でないから時間の無駄でしかない」という意見を皆さん一度ならず耳にした事があるのではないでしょうか。私は聞くたびに、「そうは言ってもアナタは日頃全くネガティブな気持ちにならないのか⁉︎それを吐き出さず自分の気の持ちようだけで立て直しているのか⁉︎聖人か⁉︎」と懐疑的に思っていました。

しかし私はついこの前気がつきました。これは体質の問題です。だってポジティブな面子のポジティブに終始した呑み会って疲れる。疲れるのは予想がついていたけど翌日謎の頭痛に見舞われました。明らかに二日酔いになる程呑んでいないし吐き気等のより頻出する症状も出ていないのにです。ポジティブに当てられたとしか考えられない。そもそもスーパーポジティブ星人と体育会系全方位気遣いの鬼の二人に、企業広告炎上ウォッチが趣味という(前記事参照)社会性で粉飾しただけのネクラな私が着いていかれる訳がなかった(ついでに言うと呂布カルマがポップ寄りと評される日本のラップ界の話にも着いていけなかった)。

そうは言っても私だって常にネガティブな話題を話したい訳ではありません。仕事や人間関係を離れた趣味や娯楽の話は大好きです。でもその趣味や娯楽の種類(やそこから導き出される価値観)が正反対だと中々辛いものがあります。そういうNot for meもしくは自分的に「跳ねへん」話題、序盤の「誰が何に関心があって、どういうきっかけで知り、どういう点に面白みを感じているのか」などは興味深く聴けるのですが、更に詳細な話になると、その事柄に今後自分がコミットする気になれない以上中々しんどくなってきます。

という事で、私はこれからも呑み会で愚痴を言い愚痴を聴いていくつもりなのですが、愚痴を吐くにもやはり最低限他人を不愉快にしない作法があるように思うので、自分なりに気を付けている事を以下に記載していきます。

 

①話の筋と無関係な悪口を言わない。

愚痴というのは有り体に言うと、他人(外的要因)の良くないと自分が考える点をアウトプットする事だと言えます。その時に、本来愚痴りたい点とは無関係の悪口を言わないようにはしています。特に出自や年齢、性別、身体的特徴などをなんの因果関係もないのに結び付けて話すのは不快でしかないと思っています。

 

②感情のまま言い放たない

感情のまま喋ると①のように無関係な暴言を吐きかねないというのもそうですが、だらだらと結論のない話を聴くのが苦痛に感じる人もいます。なので「愚痴の元となる出来事とその分析や自分の見解」を話すつもりでいます。よく「愚痴を言う側は共感されたいだけなのに、聴かされる側は解決策を示したがって喧嘩になる」というのがあります。そうならないように予め「愚痴の原因を解消するために状況を分析してみたが、その結果自力で出来ることは無いという結論に至った」という話の流れにもっていって、相手に単なる感情の垂れ流しでは無いという印象を与えつつ、相手から悪気なく繰り出される的外れなアドバイスやクソバイスを出来るだけシャットアウトします。そもそも聴く側が話し手が愚痴の原因に不満を持つこと自体に懐疑的だったり、反論や説教をしたいだけだったら諦めた方が良さそうですが。あと「自力で出来ること」は話し手が決める事なので、一旦何もできないという結論に至った後、出てこなかった方策を提案するのは問題ないと思うのですが、「それは既にやった」「既に考えたがやはり困難だと判断した」「その方策は考えなかったがやはりやりたくない」という自由もあるので、聴く側は自分の意見が採用されるor気にしない事にするね!という結論になる事は期待しないで頂けるととても嬉しいです。

 

③殺伐とした雰囲気にしない

話していて結果的に落ち込んできたり怒りがぶり返して来る事もあるので無理する必要はありませんが、せめて導入は暗くなく話題提供というテイが良いのではないかと思います。(それかもう今日はそういうモードだと最初から気付かれるようにする)

どうしても汚い言葉を使いたくなる時は、出来るだけ①に反しない抽象的な表現を使います。最悪の場合は「〜と思って」と末尾につけてお茶を濁します。私自身はどちらかというと話し下手だし面白い事を言えるタイプでもないのですが、②の感情任せだと思われないように怒りを敢えて普段話し言葉では使わないような言い回し(腹わたが煮えくりかえる、とかクソofクソとか?)で少しはポップに響くようにしたりしています。

 

私自身は割と愚痴を聴くのも苦にならない方です。性格が悪いのもあるかと思いますが、以外と皆さん愚痴を言うのが上手いのか、上手い愚痴以外は悪口と解釈しているんでしょう。物事には大抵良い面も悪い面もある訳で、特に仕事関係であれば悪い面を知る事はリスク管理に繋がります。どんなに人柄が良い人や有能な人でも苦手としているもの(タスクの分野や特定の人間関係など)はあるものです。その点愚痴は貴重な情報源です。周りの状況が見え必要な気遣いが出来たり、地雷を回避できたり、スムーズに仕事が出来る様な判断をしやすくなります。そもそも愚痴をいう必要のない環境が一番良いとは思いますが、そういう状況である以上はリスクヘッジして将来のストレスを軽減した方が良さそうです。

 

そうこう言いつつ、私の愚痴も聴かされてる方からすれば話長いとか賢しらで鼻につくとか思われている可能性もありますが、①②③を守らないよりはマシな仕上がりになっていると信じているのでなんとかお付き合い頂けると助かるなと思っています。