思念が奔逸中

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横文字のビジネス用語、どこまで使う?

先日、新入社員に話す際の横文字が多いと指摘をされました。自分自身はそのつもりが全くなく、寧ろメールなどでは伝統的なビジネス敬語を多用する方なので軽くショックを受けたのですが、確かに使ってるかも…ということで色々まとめてみたいと思います。

専門的過ぎる用語や一般的な和製英語は除いた上で、よくこの手の話題で挙がりがちで思いついたものを載せていきます。

 

①普通に使う

フィックス、バイアス、アサイン、デフォルト、グロスインセンティブ、コンセンサス、ブラッシュアップ、ペンディング、〇〇マター、ラグジュアリー感とかミニマル感など印象を表す言葉

 

フィックスは修正ではなく最終の意で使います。「一旦フィックス」という矛盾した表現も。バイアスはほとんどの場合、第三者目線でチェックして欲しい時に「私はバイアス掛かってるから」と使います。

それ以外はその単語でしか表しにくいニュアンスが付随していたり、日本語で言い換えると回りくどくなりそう(もしくは同音異義語と紛らわしそうorたまにイキリたい)なものです。

印象を表す言葉は、それ自体一番自分の認識に近い単語を選んでいるので他の単語への言い換えが難しくなりがちです。ラグジュアリー感と高級感は違うしミニマル感と余白感も違う。

 

 

②ネタ的に使いがち

エビデンス、コンバージョン、UX、コンプライアンス(コンプラ)、ポリティカルコレクトネス(ポリコレ)

 

独自な概念の単語なので本来の意味で使う必要があれば使いますが、余り使う機会がありません。ネタ的に使うとしたら日常の話し言葉ではなく当ブログなどの書き言葉が多いです。こういう単語は本来の意味というより、自分で勝手に「この単語の核となる概念」を決め付けて転用するパターンに陥りがちです。コンバージョンはウェブ用語ですがウェブが関係なくても語感が良いので本来ならKPIだかKGIだかの所をコンバージョンだと思って生きています。

ちなみに①で挙げたアサインは件の新入社員に指摘された用語なのでネタ的な使い方に成り下がりました。

 

 

③使わない

バジェット、バッファ、アジェンダ、イシュー、リスケ、クロージング、ロープレ、ブレスト、インサイト

 

予算、余裕、課題、問題、日程組み直し、成約、と言った方が早い。ロープレやブレストはおこなう機会が少ない(またはおこなっている認識が出来ていない)ので使いません。インサイトという用語を初めて聞いた時は日本語で言えと思いましたが、そのまま英語の意味だと「知見」や「洞察」なのでちょっとニュアンスが違うし「気づき」とかだと途端に稚拙な感じがして可視化を「見える化」と言い換えるような着心地の悪さを感じます。そして今調べたんですがビジネスシーンで使われる際は「潜在的な欲求」という意味らしいです。え、潜在的な欲求で良くない?

 

④許さん

FYI (For Your Information)

 

幸いなことに未だこの手のメールは頂いたことがありませんが来たらイラっとします。アルファベット三文字で何を意味しているのか一瞬分からない。流石にイキっているというか謎に上から目線。「ご参考までに」にするだけでなんとなく「僭越ですが」「良ければ見てね」という含意がある印象になり親切をそのまま受け取れる気がします。ちなみに私は最初にこの単語を知った時IはインサイトのIだと思いました。

 

まとめてみると結構横文字使ってました!思いついたものだけを挙げているので恐らく他にも使っているでしょう。結局のところその単語に言い換えが難しい特有のニュアンスが付随していると感じるかどうかなので異論はあるかと思います。横文字だろうがなんだろうがその場にいる人が共通で認識できる単語なら使った方がスムーズだし、ごく稀にハッタリを利かせた方がいい局面もありますしね!

でもハッタリ利かすつもりがなくても場面を選ばないとイキってる認定されてしまうから見極め大事です。だとしてもPDCAと言っただけでその扱いはやめてほしいですね。知らん知らん知らん、PDCAくらい日常的にサラッと使ってくれと思います。

愛国心よりも郷土愛、という風潮

不定期にある愛国心をテーマにした曲※1 が炎上する案件がこの前も起こったから、という訳でもないのですが、なんとなくここ数年単位で持っていた違和感について書いてみたいと思います。

この記事は随筆です。個別の事象についてや政治、表現の自由について議論するものではありません。また用語や思想に関して学術的な裏付けを取って論じている訳ではありませんのでご了承下さい。

 

愛国心」という言葉は手垢にまみれていて、人によって定義が違っていてファジーな単語です。一方「郷土愛」は比較的固定のイメージが共有出来そうな単語です。私の中での二者のざっくり定義は下記のようになります。

愛国心: 国家という政治共同体に対して愛をもつ心 ≒ナショナリズム

郷土愛: 生まれ育った土地の風土や文化に対する愛(を持つ心) ≒パトリオティズム

 

この国家に対する「愛」がどうにも「無批判に自分の所属する国家を崇めたてる」という形として解釈されがちなため、愛国心を謳った文化的なコンテンツが炎上するように思います。「クリティカルな視点を持ち、是正すべきところはしながらよりよい国家にしていく。その上で不必要に卑下せず良きところは誇る」という風な解釈も可能なはずですが、そのような文脈で語られる場面は前者より少なく感じます。

「政治家にはナショナリズムが必要だが一般市民はナショナリズムよりパトリオティズムを持つべき」という言説※2 があります。日々新しい法案を通している(与野党問わずの)政治家の皆さんが無批判に国家を崇めたり自己との同一化を図っているとは考えにくいのでやはりナショナリズム愛国心は後者の解釈をするのが妥当だと思います。

未だ途上とはいえ、ここ数年で労働やジェンダーの分野で倫理規範の基準が目覚ましく進歩した事を思えば、デリケートな問題※3 もありますが、この辺りの価値観もそろそろアップデートされてもいいのではないでしょうか。

 

というのが壮大な前振りで、私が思っていた違和感は「市民にはナショナリズムよりパトリオティズム」という風潮についてです。なんか愛国心と比べて郷土愛、めちゃめちゃ推されていません?

愛国心が国家に基づくならば、郷土愛は生まれ育った土地(主に市町村、広くて都道府県や藩レベル)の自然環境やそれによって醸成された産業や気風に対するものだと認識しています。だとすると私はそこまで郷土愛を持っていない気がします。

もちろん地元の景観が嫌いではないですし、地元発祥の企業や名物が褒められれば嬉しくなります。しかし振り返ってみると子どもの頃から地元で就職して生活するというビジョンを持った事がないと気付きました。もともと先祖代々が住んでいる土地ではないのも多分に影響していますが、地元が嫌で早く出たいというよりも、進学を機に当然出て行くものだという認識でした。

少し前に都会と田舎の土地レベルでの文化資本の格差(というか田舎の学歴に対する価値観レベルでのアクセシビリティの弱さみたいな話。リンクは貼らない)についての記事が話を盛り過ぎていて炎上していました。事実を曲げてまで伝えるのは問題ですが、故郷というものは過度に希望的か絶望的にしか語れないのであれば私は後者だなと思います。※4

学歴云々や生活の利便性の問題ではなく、なんとなく自分の生まれ育った街が称揚している文化が合わないというのはある意味絶望かも知れません。私の育った土地(といっても区とかそれ以下の町レベル)は比較的スポーツや健康を称揚しがち※5 で、運動が不得手でスポーツ観戦にも興味がなかった私は、肩身が狭いというかそこはかとない違和感を憶えていました。

私の場合は子どもの頃の行動範囲が極端に狭かったので、ほんの一歩外に出るだけで違う世界があり良かったのですが、色々な人が偶然そこに生まれ住んでいる訳ですから、生まれ育った土地の気風が自分の性格や特性に合わず別の土地のそれの方が合っていると感じる事はままありそうです。※6

それを「私は〇〇県より△△県の文化や気風が好き」というような認識にならないとフワッと「自国の文化が好き」みたいな愛国心寄りな気持ちになるような気がします。そこに国家や国籍の話は介在していないので、本来なら愛国心ではなく国という広めの範囲に対する郷土愛なのですが、郷土愛という単語のイメージが強すぎて郷土愛と言いたくない…となります。

郷土愛という単語のイメージは極めて素朴で、大抵「ふるさと」みたいな歌※7 は、山河などの景観と恩師や近所の人や気心の知れたホーミーなどが出て来て、場合によってはそこに産業や気風などのローカル色のあるフレーバーを散りばめたものです。汎用性の高い郷土愛ソングになればなるほど人に焦点が当たりがちですが、人間関係は最早郷土と関係がありません(自然環境→気風→人、あるいは自然環境→産業→気風→人なので当然の帰着ではありますが)。

こうやって突き詰めて考えてみると郷土愛もまた愛国心と同様にファジーな概念ですね。愛国心は国家という枠組みに紐づくというのも仮定義なので、この二つの境界も人によってかなり異なりそうです。

色々書いてみましたが、現在一歩ひいて故郷を見ると良い点は沢山あるし、出入国手続きのスムーズさに日本のパスポートありがとうと思うし選挙にも行きたいので郷土愛も愛国心も持っていたいと思います。

 

※1 まず「歌」というものが身体的な作用があって人間の根源的な何かだから炎上しやすい媒体ですが、そこに愛国とスポーツ(と旗などの象徴やモチーフ)が加わると燃えやすいですよね

※2 「国家の品格」に書いてあったと思っている

※3 例えばハーケンクロイツそのものを転用するのは絶対アウトですが、ハーケンクロイツ以前から存在する寺院の地図記号や卍という漢字は問題なく使えています。負の歴史を無かったことにしようとは思いませんが、後から付けられた悪いイメージのせいで本来の意味から乖離していくのにモヤモヤとした気持ちがあります。もちろん不愉快な気持ちは尊重されるべきですが(わざわざ不必要にユダヤ人やドイツ人の方の前で寺院マークや卍を書いたりしないですし)

※4 生まれ育った土地に暮らす人の殆どが地に足のついた気持ちだとは思います。めちゃくちゃ希望的に語る事にも反対しません

※5 大抵子どものうちは健康やスポーツが称揚されがちだし、子ども自身もそこに価値を置きがちだから、最早土地の問題では無いのかも。でも異様に文豪ゆかりの地に憧れがある。という事は逆パターンの憧憬もあるよね

※6 「地元」よりは少ないと思いますが、自国の気風が合わないと感じ外国に住む人もいますよね

※7 ほっこり系ソング以外でも土地に紐付けられたアーティストは沢山いて、曲が良ければ何でも良いんだけど結果的に「地元ラブ」といいつつ故郷に帰る気がなさそうなアーティストを好んで聴きがちです。ではあるものの地方にあまねく色々な音楽を聴く機会があれば人口流出の歯止めになるのでは、と思ったり。

自分の機嫌は一番重要だけど他人にとっては一番どうでもいい

というのは極論ですが割とそういう事だと思っていて。

「機嫌が悪くても落ち込んでいてもちゃんとやる」という事とはまた別で、機嫌というものは意識がある状態では常に存在する※1ので、意図的にシャットダウンしないと思考の大部分を占めてしまうという意味合いで一番重要、としています。そして多くの人は、その裏返しで他人にとって自分の機嫌は重要ではない※2と分かっているからこそ、一旦自分の感情を脇に置いて、相手の立場とか気持ちとか、円滑な進行を優先させながら過ごしているのではないでしょうか。※3

感情を脇に置く理由付けは

①今言っても相手が聴く耳を持っていないから

②相手に考慮すべき事情がある(かも知れない)から

③その方が案件が進行するから

④世の中にはもっと大変な人が居たり、考えるべき社会的な問題があるから

といったように沢山あって有り余ります。

 

そういったコミュニケーション上の軋轢とか仕事関係での紛糾などを大人な対応でサラッと交わしたつもりが、いざ事態が好転しそうになるとモヤモヤとした気持ちになることがあります。たとえば

①今は相手も落ち着いているけれど本当は、私に失望している/未だ怒っているのでは?

②そもそもこういう事態になったということは私の事を元々軽んじていたのでは?

③そもそも観点が違う話なのにな

などなど。考えだすとキリがありません。

 

そういう時に今更わだかまりを持つ自分は器が小さいのかな、などと余計に落ち込んだりもしてしまうものですが、それもあまり良い影響がなさそうです。

そこで最近私は【私に対して失礼】という概念を導入することにしています。※4

 

相手の方が優れて自分が劣っている点とか、考慮すべき事情とか諸々は置いておいて、人としてその態度/社会人としてその対応/私とあなたとの関係性でその物言い失礼だよね、とその部分に関しては素直に怒っても良いのではないのでしょうか。

そして「私に対して失礼なんて理由でその場で事を荒立てるのも大人気ないと思ったからそこそこの対応したけど、まあ失礼だよねー」と気心の知れた人に話せればベストです。きっとそこそこの対応をした事を褒めてくれるはず。話す人がいなければ自分で褒めたら良いと思います。※5

 

そうやって話せる人に話せる範囲で発散しながら、少し先の週末の予定とか、本棚、クローゼット、冷蔵庫、WALKMANの中身やSNSのタイムラインを自分の好きなもので満たして行くことで、自分の機嫌を取りながら生きていきたいと思っています。

 

※1 意図的に意識を拡散させたり手放す方法として飲酒がありますが、ほどほどにしておいた方が良いし、体質によっては(精神的にも物理的にも)悪い方向にしか行かない場合もありそうなのでお勧めはしません

※2「皆が気分良く進められるようにすべき(しよう、したいよね)」と言ってくる人の「皆」の中には大抵話しかけられている自分は含まれていなかったりする。「お前が我慢しろ」のパターンもあるけれどナチュラルに「お前が機嫌良かろうが悪かろうがそれは問題外」のパターンもあってそれはそれで虚しい

※3 心からその人の事を尊重したい場合、今はとりあえず優先してあげるねという場合、キーマンの機嫌を押さえると円滑に進むという場合など様々

※4 あまり「失礼」という考え方に馴染めない方は、感情がマイナスな方向に行く時の傾向に合わせて、「私は悲しい」とか「私に物理的な皺寄せが来ている」「理屈が合わない」などを適宜代入して頂ければ良いのではないかと思います

※5 こういう時にちゃんと共感してもらえそうな人選の見極めは大事

 

 

キレの良い効き目という概念

御無沙汰しております。

暑くなったと思ったら急に涼しくなったり、気温の定まらない時期ですが皆様は体調を崩されていませんでしょうか。私はまんまと風邪に罹患しました。

そもそも最初に喉の痛みを感じた時に、エアコンの除湿モードが原因の感想だと勘違いしたせいか初動が遅れたのも敗因です。

風邪をひくと鼻水の症状が劇症化しやすいので、大抵総合感冒薬ではなく鼻炎薬をドラッグストアなどで購入してしのいでいます。しかし昨年はしぶとい風邪を2回も拗らせ、ずるずる悪化の一途を辿り結局病院に行く事になったので今回は早めに病院に行く事にしました。

 

細菌感染はしてなさそうということでカルボシステイン(≒ムコダイン 痰の切れや鼻水の排出を促す)とエピナスチン塩酸塩10g(アレルギー性鼻炎の薬)を処方されたのですが…全然鼻水が止まりません!

調べてみたところ、エピナスチン塩酸塩は市販薬アレジオンに含まれている成分と同じでした。寧ろアレジオンは20gのシリーズもあるようなので大分控えめな処方です。わざわざ時間を費やして病院行ったのに全然納得いかねぇ案件です。

実は数年前に別の病院でアレグラと同じ成分の薬を処方された事もあるのですがこちらも効果がありませんでした。この二つに共通しているのが「第二世代抗ヒスタミン剤」という分類に属しているという点です。第二世代は第一世代に比べ副作用が少なく、市販の花粉症向けの鼻炎薬に良く使われている、という事は聞いた事がありました。

 

もう少し調べてみた結果、第二世代は単に副作用が少なくなった、という単純な話ではなく症状への対処から予防に考え方がシフトしていることが分かりました。花粉が飛散し始める頃かその前から服用を始めるとピーク時に楽に過ごせる、という事のようです。つまり効き目が緩やかなので、風邪のように罹患の時期が予測できず急激に病状が悪化するタイプには不向きという事ですね。

「第二世代は効き目の強さと副作用の強さが比例する訳ではない」というのは第二世代同士の比較の際に成立する話であって第一世代と第二世代を比べるとやはり効き目と副作用は正比例するっぽいです。

 

エピナスチン塩酸塩が効かない為、同じ第二世代でも効き目の強い新薬、ビラノア錠を処方して頂きました。ビラノア錠は空腹時に服用というのが変わっている点ですが、1日一回で済みます。(空腹とは食事の二時間以上後、1時間以上前の事を指しますが、これが本当に空腹という事なのか不安)エピナスチン塩酸塩よりは効果がありましたが、効果の発現まで時間がかかり、次に飲む2〜3時間前にはしんどくなっていました。本来ならかなり効果がある薬のようなので、今回の風邪がかなり強力だったという事でしょうか。

 

という訳で安定のパブロン鼻炎薬を購入致しました。

www.taisho.co.jp

今回第一世代、第二世代等を調べるうちにこのサイトを行き着いたんですが、この「キレの良い効き目」というキャッチが気になっています。効き目についての形容でキレが良いってどういう事?即効性があり確実に効くという事なら「速く良く効く」じゃダメなの?

 

パブロン鼻炎薬についていえば、効果が現れるのが速く、必ずと行って良いほど効いている時間は強い口の渇きを感じます。そして効果が切れると口の渇きも治まります。非常に分かりやすい。効き目は後を引かずスパッと無くなります。有能な仕事ぶりながら定時になったら必ず帰る会社員のようです。これがキレがあるという事なのでしょうか。

 

この口の渇きをもたらし鼻水に効いている成分が「ベラドンナアルカロイド」という成分だと思われます。ベラドンナアルカロイドに関する情報がネット上にあまりなかったので(パブロンのサイトには第一世代の説明が書いてあるけれどそれってどの成分?)、ビラノア錠を処方して頂く際に医者に訊いてみたのですが、薬価がかなり安いために市販薬に入っている成分だと思うがよく分からないとの事でした。そういうものなのでしょうか?

 

ここまで書いたことはあくまで個人の感想なので皆様はちゃんと医者にご相談の上薬を服用して下さいね。あと細菌が入ったら取り敢えず抗生物質を貰うために病院に行った方がいいです。

でも私は取り敢えず、効き目キレッキレで頼もしいパブロン鼻炎薬を常備します。

 

【この記事は個人の感想を述べた随筆です。特定の薬の推奨したり効果を保証したりするものではありません】

 

 

2、3年ごとに通う美容院が変わっている

通う美容院が定まらず毎回新しい店に行く事・人のことを指して「美容院ジプシー」という事があります。私自身には当てはまらない言葉だと思っていましたが、そういえば大した理由もなく2、3年に一回美容院を変えていました。今回は、理由を振り返り今後の美容院での仕上がりの満足度を上げる糧にしたいと思います。(という体裁をとった愚痴です!)

 

①地元の美容院

とりあえず親が行っていた所に通う。そもそも子どもであったが故に希望を上手く伝える術を持たず毎回不満を抱いていた様な気もするがあまり覚えていない。結局雑誌の切り抜きなどを持っていく方法に落ち着いたように思う。

 

②大学時代

大学入学を機に引っ越し転居先に近い店舗を探す。幸いすぐにしっくり来る店が見つかった。染髪やパーマなど髪質に左右される施術で100%納得がいくことは少なかったが、そもそもそれらを制限されない環境となったこと自体が嬉しく不満はあまり無かった。

社会人になり土日しか行けず、それまでの担当美容師とシフトが合わなくなった事を機に通わなくなった。別の担当も特に下手ではなかったがその人についているアシスタントのシャンプーやカラー剤の塗り方が雑だったのも要因か。アシスタントは西野カナ(ヒッピーバンド=スーパーフライの人が頭に付けているやつ、を付けているボヘミアン調時代の西野カナ)に似ていて愛想も良かったがカラー剤を額が狭くなるほどはみ出して塗るのはさすがにナシだった。

 

③社会人になってから(約一年半)

友人から紹介された街中の店に通うように。やはり繁華街にある店はレベルが高く対応可能な施術も多かった。カラーリングが単に明るさだけでなく色調まで選べるようになり、自分の髪質も踏まえた上で詳細なオーダーをするようになった。この頃から既に神経が図太くなっていたため、最初に担当した人と合わなかったら次の予約時は指名しないといった事を平気でするようになった。仕上がりには満足していたが、繁盛店特有の待ち時間の長さにより一回につき3時間以上の滞在がデフォルトなのに不満だったのと、急に祝日の月曜日に髪を切りたくなった際定休日だった事をキッカケに行かなくなった。

 

④それから約3年くらい

上記の祝日の月曜日に営業していた為通う事になった店舗。担当を定めずに数回通ったがホットペッパービューティにカラーリングの魔術師と書いてある人に担当が固定。丁寧にヒアリングをしてくれるし腕も良く本当にカラーリングの魔術師だった(この通り名は自称ではなく勝手に書かれていたそう)。しかし一度思ったよりも髪を梳かれてどうしてもシルエットが気に入らず翌日別の美容室にパーマをかけに行き、それから行かなくなった。

 

⑤それから現在まで(2年半くらい)

気に入らなかったからといって翌日他店でパーマをかけたことが後ろめたく、そうこうしている内にカラーリングの魔術師の指名料が高くなった事から今の店に定着して現在に至る。

 

振り返ってみると、通っていた店自体が全然ダメという訳では無かったはずなのに、ふとした事でフッと行かなくなるパターンになっていますね。

通わなくなる理由としては

・同じ店に通う事よりも、その時のニーズ(絶対この日に行きたい、すぐに直したい)を満たす事が最優先される

・不満があっても同じ店に翌日直してもらいにいくのは気まずい

・代わりに行った店舗もアタリな方の店舗

という事が言えそうです。

こうやって文字に起こすと結構クズというかコミュ障な感じに見えてきますね…。

私の髪型が少し変わったところで他人から見たら同じなのは分かっているのですが、自分が納得いってないと気分が落ちるんですよね。そして社会人になって二日連続美容院にお金を払えるくらいにはなったという事でしょうか。

 

反対にそこそこの期間継続出来た理由としては

・運良くいい店舗、担当に出会えた

これが一番大きいと思いますが

・施術前のヒアリング時は詳細に

自分の髪質や骨格がモデルとは異なる事を加味しながら2〜3パターン近いものを選ぶのと、回避したい方向性を伝えておくと失敗は少ない気がします。特に私は重めのスタイルが好きで軽くされすぎる、切られすぎるなど取り返しがつかなくなるリスクが高いです。それなので、どの程度減らしたいのか、切りたいのかは曖昧な表現ではなく客観的な指標で伝えるようにしています(この写真と同じくらいのボリューム、肩甲骨の所までの長さ、とか)。

・最終確認時で多少の手直しで取り返しがつきそうな場合は遠慮なく直してもらう

さすがにパーマやカラーのやり直しはスケジュールが狂うので言い出せませんが多少のカットやスタイリングでどうにかなるなら…。再現率も大事だけど美容院を出た直後が一番良い状態じゃないというのも嫌だ 笑

結果割と意見をハッキリ言う客というイメージがついて無碍に扱われにくくなっているかも知れません。

 

そして何故今、こんな事を書いているかというと2年半ぶりに別の店に行ってしまったからです。私の中に「セミロング以上の長さの髪は、後ろから見た時に下のラインがまっすぐ(地面と平行)なのがデフォルト」という先入観があります。

一度真ん中が長いラインにされて店では気がつかず、次のタイミングで真っ直ぐにしてもらったのですが(「何故?」「単純にその方が自分の好みだから」という会話をしたはず)、また同じ事をされ、(その時はパーマもしていて言い出し辛く)結局一ヶ月後に他店で直すという事をしました。というかカルテに書いてよ。

 

今回はカットとトリートメントだけで失敗はなかったのですが、一ヶ月前にかけたパーマに対して「若干パーマがかかってますね」といった上でスタイリングせずそのまま帰そうとしたので多分次は行かないと思います。いや、私にとっては若干じゃなくて立派なパーマなんですよ。何故かかってるの分かってて再現しない。何も聞かない。

言ったら普通にやってくれたしそれはそこまで問題でもないのですが、店舗面積の割にスタッフもお客さんも多く忙しない雰囲気でヒアリングの時間もあんまり取れなさそうなのでやはり行かないかな。

 

というわけで今回は店舗変更を回避しました。結局の所いくら失敗しないように言葉を尽くしても、絶対どこかに「言わなくても当然そうなる」という先入観の落とし穴があるという事がわかりました。こういうのは気付く度に伝えていく他ないのかな…と思いました。

 

今回は書いていて性格の悪さを露呈しただけのようになりましたが、皆様のご参考になれば幸いです。何にせよヒアリング大事!

 

今こそドラマ「カラマーゾフの兄弟」を観よう

現在放送中のドラマ「おっさんずラブ」があと残すところ最終回のみとなりました。テーマ設定もさることながら、全7回と短い中毎回怒涛のストーリー展開で視聴者を惹きつけて止まなかった同ドラマ、既に放送終了後のロスに備えて身の振り方をお考えの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

私はといえば既に、第6回視聴終了後あまりの展開に落ち着かなくなって「カラマーゾフの兄弟」を見直す作業に入っております!

 

カラマーゾフの兄弟 DVD-BOX

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2013年1月クールに放送された「カラマーゾフの兄弟」はその名の通り、ロシアの文豪ドストエフスキーの同名小説を原案としています。おっさんずラブでは主人公を取り合う部長と後輩社員の間柄を演じている吉田鋼太郎林遣都が、殺された父親とその殺人の容疑者となる三兄弟の三男、という役を演じました。おっさんずラブは果てしなくワチャワチャした展開や、登場人物全員に幸せになってほしいけれどそれが困難な切なさに心が忙しくなりますが、カラマーゾフの有無を言わさぬ重厚感はクールダウンに最適です。そして一旦憎しみの世界を見るとおっさんずラブはマジでラブに溢れています。

 

というわけで、今回はドラマ「カラマーゾフの兄弟」の超個人的に良いと思う所をお伝えしていきたいと思います。

なお、筆者は原作小説を読んでいませんので原作と異なるところは伝聞です。だってドラマ観て満足してしまったし

 

①キャストについて

主要人物のキャストは下記の通りです。括弧書きの名前は原作で該当する人物の名前です。

黒澤 勲 (イヴァン) 黒澤家次男 弁護士- 市原隼人

黒澤 満 (ミーチャ)黒澤家長男 失業中 - 斎藤工

黒澤 涼 (アリョーシャ)黒澤家三男 医大生 - 林遣都

黒澤 文蔵 (フョードル)黒澤家当主 黒澤地所社長 本作品の冒頭で殺害される - 吉田鋼太郎

黒澤 詩織 (ソフィヤ)文蔵の後妻 勲と涼の母 故人- 安藤サクラ

末松 進 (スメルジャコフ)黒澤家の使用人 - 松下洸平

小栗 晃一(グリゴーリイ) 秘書- 渡辺憲吉

遠藤 加奈子 (カーチャ) 満の恋人- 高梨臨

吉岡 久留美(グルーシェンカ) 文蔵の友人 職業愛人- 芳賀優里亜

入江 悟史 文蔵殺害事件を担当する刑事- 滝藤賢一

 

カラマーゾフの兄弟は文蔵が殺害される直近の三兄弟に起きた出来事を描きながら、殺害後の刑事の事情聴取の場面を差し込みつつ展開していきます。

三兄弟それぞれの視点から描かれますが、次男・勲の視点の比重が大きくなっています。※1勲はエリート思考で冷静沈着(どちらかというと冷血)、鬱屈とした性格なのですが、このメインの役にそれまで熱血漢を数多く演じてきた全くイメージの異なる市原隼人を起用したのが画期的です。

また2018年現在では一般にも名が知れ渡った人気実力派俳優の吉田鋼太郎斎藤工滝藤賢一安藤サクラが2013年段階で一堂に会しているのも先進的に感じられます。活動するフィールドの問題であり、それまでに十分キャリアを積んでいる方々ではありますが、舞台やマイナーな邦画に接してきていない私にとって、斎藤、滝藤、安藤氏に関しては最近見る顔だな、というくらいでしたし、吉田氏に至ってはそれまで認識すら出来ていませんでした。このキャストが本当に良い演技をするのです。めちゃくちゃ豪華。

滝藤賢一といえば同年9月クールの「半沢直樹」の近藤さん役で可哀想と話題にグッと知名度を上げた印象がありますが、この作品では三兄弟を執拗に尋問する刑事を演じています。言葉尻を捉えて嫌味ったらしく追求し揺さぶりを掛ける演技は目力も相まって存在感に溢れています。この刑事と三者三様に答える兄弟の駆け引きも見所です。

そしてこの作品で知った吉田鋼太郎シェイクスピア演劇仕込みの声量のある演技は、テレビドラマの中では浮いているように当初は思いましたが、古色蒼然としたお屋敷に、急に観念論を語り出す次男、バーで喋るだけなのに回りくどい台詞を放つ長男、といった少々現実離れした世界観の中で確かに核となっていました。

 

②名前の翻案について

カラマーゾフ」というのは舞台となる一家の名字ですが、ロシア語で「黒塗りの」という意味だそうです。それに合わせてドラマ版の一家の名前は「黒澤」※2 となっています。また一家が牛耳っている地方都市の名前は「烏目町」。ドラマの暗くケレン味のある印象と統一しつつ、カラマーゾフ という語感と揃えてきているところがにくいですね。

それ以外の登場人物の名前は、頭文字が共通していたり、子音や母音の配置によって似た語感になるように翻案されています。特に秀逸なのが満・勲・涼の三兄弟の名前。兄弟らしく漢字一文字縛りで翻案しただけでなく、それぞれの性格ともマッチしています。三男のアリョーシャは頭文字や性格を考慮に入れると明や篤でも良かったのかもしれませんが、敢えて真ん中のリョーを採ったところにセンスを感じます。響きが現代っ子ぽくて林遣都の涼やかな見た目に合ってて良い 本名遣都だけど

反対に久留美だけは音の響きから小動物っぽい可愛さがあって役と合致していない印象を持ちました。

 

③個人的に世界観が好き過ぎる

先にも述べたように、このドラマは色は黒を基調とし、時代がかった重厚でダークな世界観になっています。舞台となる都市の名前が烏目町というのもあり烏の映像をバックにタイトルロゴが現れます。

テーマソングはローリング・ストーンズの「Paint It,Black」、邦題「黒く塗れ!」です。これまた意味合いを被せてきたのですが、古典名作にロック、合わないと思いきやあのダウナーで淡々としたダークなイントロと歌唱がめちゃくちゃ相乗効果を発揮します。このテーマソングを皮切りに、NirvanaRadioheadThe White Stripesなどの洋楽ロックを聴いてきた特定の層に照準を狙い定めたサウンドトラックになっています。※3

黒澤家のお屋敷の外観として鎌倉文学館が採用されているのも個人的にはポイントが高いです。三島由紀夫の「春の雪」に出てくるお屋敷のモデルにもなった建物です。

 

④まとめ

上記のように「カラマーゾフの兄弟」の良いと思う所を列挙させて頂きましたが、結局「めっちゃ私の好きなツボ押さえてくるー」という事が言いたかっただけですね。なんというか一つ一つの演出※4 がとてもクールに見えます。世界観に嵌り過ぎたが故に、吉田鋼太郎の存在を記憶に刻みつつ、特定の役者のファンにはなりませんでした。役者よりも役柄が上回ったのでしょうか。誰に共感するとかいうタイプのドラマではありませんが、実の所三男の涼君は良い子過ぎてイマイチピンと来ませんでした。が、おっさんずラブの牧君を観てから林遣都氏良いやん、となっております。

支離滅裂になってきましたが、おっさんずラブカラマーゾフの兄弟、両方みたらパラレルワールドみたいになってどちらの世界線も救われて見える気がする、というお話でした。

 

※0 この記事では敬称を省略させて頂いております

※1 次男・勲は「汚れた血族」という小説(兄・満曰く「キモい小説」)を書いており、折に触れて小説を執筆する場面が挿入されます。蓄積した憎しみや葛藤を感じさせるドラマティックな演出ですが、確かにキモいというか厨二がかった単語が散見され小説として読むには面白くなさそうです

※2 奇しくも「おっさんずラブ」にて吉田鋼太郎が演じているのは「黒澤」部長。ちなみに林遣都が演じているのは「牧凌太」。容姿から来る印象に一致しやすい名前というのがあるのか

※3仮にこの曲達を知らなかったとしても選曲の格好良さは伝わるはず、と思っています。知っているからこそのバイアスはありますが、BGMというよりかなり印象に残るドラスティックな流し方です

※4 モノクロの映像から誰かが転換となる一言を言った時点でカラーに切り替わるの最高

 

ホンダ車「ジェイド」と米津玄師「LOSER」タイアップの違和感は確信犯か

 


JADE「NEW STYLE WGN」篇 30秒

先日から、米津玄師の「LOSER」がタイアップ曲となったホンダのジェイドという車種のCMが流れています。

車が必ずしも勝ち組の象徴ではなくなって久しいと言えど、敢えて負け犬を意味するLOSERという曲が起用されるという現象に世の中の風潮は分からんわ、という気持ちになりました。曲調には疾走感があるとか、曲全体ではポジティヴなメッセージを発信しているという問題では無いのです。ハッキリと「アイムアルーザー」とキラーワードが聞こえ、LOSERとクレジットされる事のインパクトの問題です。(とはいえlemon=ポンコツ車は流石にアウトだろうな…)

 

こんな記事を書いていきますが、決してホンダを敵対視している訳ではありませんし、寧ろLOSERという曲は好きです。米津玄師氏の曲の中では爱丽丝 の次に好きかも知れません。

 

爱丽丝 については下記の記事をご参照下さいませ。

malily7.hatenablog.com

 

そもそもタイアップ曲の歌詞やタイトル以前にこのCM、全体として違和感しか作用しない作り方をしているように感じます。正直私は車に興味が無いので的外れな分析になるかも知れませんが、マス媒体でCMを流すという事は購入を検討すらしていない層の関心をも惹くのが目的のはず、と開き直って己の感覚を信じていってみます!

 

車のCMというと主に二つの典型的な型※1が想起されます。

①メリット列挙型

「バックモニター付き」「三列シート」など具体的な特長を丁寧に映像化・言語化して伝えるタイプのCM。走る事そのものやステイタス感よりも、安全性や利便性を重視するファミリー層や女性がターゲットの車種に多い。ターゲット層と同一化しやすい出演者を顔が見える形で出し、親しみやすい印象になりやすい。

タントのCMが象徴的


TVCM タント 「高級レストラン」篇(15秒) ダイハツ公式

 

②イメージ訴求型

走る姿を俯瞰で撮影した映像を用い、疾走感やクラス感などの購入対象層が好ましいと思うイメージを訴求。

米津玄師氏のリスナー層と被りそうなアーティスト※2 の曲を起用したこのタイプの例

MINIのCM  

[ALEXANDROS] I Don't Believe In You


MINI Hatch F55/56 15s TVCM

 

疾走感と小回りの良さを端的に訴求。[ALEXANDROS]の都会的なイメージともマッチしています。曲は英詞なので[ALEXANDROS]を知らない視聴者からすれば格好いい洋楽扱いで認識されそうです。実際のところは分かりませんが、洋楽に高い使用料を使うのなら楽曲として同じクオリティで同じ効果が得られる国内のアーティストを起用した方が良いし更に拡散力も期待出来そうです。

 

この②をベースに①のターゲット層の自己投影を促す手法をとったのがこちら。

ダイハツ トールのCM

レキシ KATOKU


レキシ〖池田貴史〗トール ダイハツCM 「成長記念日 納車」篇 15秒 Rekishi Takafumi Ikeda DAIHATSU Thor

 

イメージ的な訴求でありながら購入対象層がシチュエーションを想定、共感しやすい作りになっています。家族向けの商品に合わせ家督をテーマに書き下ろした曲、かつレキシ氏も出演という音楽ナタリーとかを読む層にはニュースバリューのあるCMでもあります。

 

ここでジェイドのCMの要素を振り返ってみます

⑴自宅風の小綺麗な建物から出発、荷物を積むシーンでトランクの広さを示唆

⑵出演者は30代くらいの男女、男性は欧米系、女性は東アジア的な容姿(もしかしたらハーフかも)ですがあまり顔が見えず女性の方を辛うじて認識できる程度

⑶街中からトンネルを抜けて自然溢れる道路へ。全体的に外国風の風景

⑷黄昏時に自宅とは別の建物へ到着。降車して歩く後ろ姿 ※3

 

これらを踏まえると違和感の正体としては下記のことが言えそうです。

▪️⑴の尺が長めで説明的な所作だったため第一印象が①のメリット列挙型であったのに、車が走り出したら⑶の時点で②のイメージ訴求型に切り替わった点

トールの場合は②に①でよく使われる「手法」を取り入れましたが、ジェイドは場面展開で①と②の両方を取り入れたため視覚的な違和感が生まれたように思います。

▪️CMとして②を基調としている割には、登場する男女へフォーカスする部分が多い点

MINIのCMで一瞬顔が映る欧米系の運転者に自己投影する視聴者はほぼいないと思われますが、ジェイドの場合は絶妙にターゲット層を意識しているようなしていないようなキャストを起用、CMで描かれるシチュエーションと自分達の生活を重ね合わせられるような演出も含まれています。

▪️映像の雰囲気と曲調が合っていない

⑶の特にトンネルを抜けてからは明らかに海外を思わせる風景となっていますが、それに対し米津玄師氏の発語のキレがいい日本語の歌唱が合わさるため何となく噛み合わない印象に。

また個人的には、LOSERの曲調であればもう少しスカッと晴れ渡った青空の下か都会的な夜の方が合うように思います。というか地下鉄が一番似合う。CMでは曲調に対して、特に⑶から⑷にかけてクラス感寄りで絵面がしっとりし過ぎているように思われます。

 

色々述べて来ましたが、ではホンダは何も考えずにこのCMを作ったのか、というとそうではないはずです。元々ホンダのCMは音楽のセンスが良いとされていました。記憶に新しいところでは2016年秋にヴェゼルという車種のCMでSuchmosの「STAY TUNE」が起用された事でしょうか。

bunshun.jp

前述したMINIのCMは2017年秋からの放送でしたが、2015年以降[ALEXANDROS]は複数社のCMタイアップ実績がありますから特別意外性のある起用ではありません。※4

それに対してSuchmosが2016年に頭角を現し当該のSTAY TUNEが最も有名(寧ろそれ以外はあまり知られていない)という状況だった事を鑑みるとかなり先進的だと言えます。

www.google.co.jp

 

では今回Suchmosに味をしめてこれから来そうな(にしては乗り遅れてるけど)若手アーティストを起用したのかというとそうとも言い切れません。

現在まことしやかに囁かれているのは、ホンダが今回のマイナーチェンジを機にこれまで人気がなかったジェイドという車種の起死回生を図り、その思いをLOSERという曲に託している、という説です。そういう文脈で捉えれば、LOSERの全体としては前向きな歌詞とマッチしていると言えます。

今回のマイナーチェンジでは二列シート+広めのトランクというタイプをメインに据え、ターゲット層も30〜40代の既婚子無しの男女に設定しているとの事です。地に足がついており、「車」が人生において必ずしも高いプライオリティにない層の印象に残るために、流行りの曲を使用しつつ敢えて違和感を残すという手法は確信犯だったのかもしれません。一見要素が多く中途半端な印象のあるCMですが、どういう層がターゲットとなっており、どういう内装・外装、機能があるかは過不足なく伝えられています。一度記憶に残ってしまえば、十分に比較検討の対象に入れてもらえる余地があり、CMとしてはコンバージョン率が高そうです(何がコンバージョンとして設定されているかは知りません。コンバージョンって言いたかっただけ)。

少なくとも、一視聴者がこんな考察記事を書いてしまうくらいにバリバリ印象には残ります。残念ながら、私は全く自動車の購入をする予定が無いので売り上げには貢献できないのですが。

 

 

※1 他に、「CVT」「エコカー減税」などの用語を視聴者に周知させるためにタレントやキャラクターを用いるパターンもありがち

※2 FM802を営業車で聴いている勢

※3 最後の建物が何の施設がよくわからないのですが、初見でホンダのディーラーだと思い込みました。まさか車がlemonだから…ではなくアフターサービス承ります的なサブリミナルかと思いました

※4 MINIというかBMWは元々ブランド力があるので冒険をせずとも普通に格好いいCMを作るというスタンスで問題ないように思います